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2000年を振り返って 北から南から
あらたな気持ちで 21世紀へはばたく我ら全運輸!
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人事院の調整手当見直しで小樽市の指定が解除されたことは、非常に残念でしたが、札幌の指定解除を押し返したことは、私たちの運動の大きな成果です。予断を許さない状況は変わらず、来年以降もしっかり監視していかなければなりません。
この他にも、商業港小樽に米空母「キティホーク」が入港したこと、差額がもらえなかった人事院勧告など、組合的にはうれしくない話題ばかりの一年だったように思います。
しかし個人的には、八月にめでたく結婚し、十二月には新車を購入するなど、いいことずくめの一年でした。これ以上の幸せは望みませんが、家族が増えたので、来年こそは年収アップ、懐が暖かい一年となるようがんばりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 北海支部 加茂聖和通信員
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二〇〇〇年と聞いて真っ先に思い出されるのは、大騒ぎした例のY2K問題である。
全国的な対応状況は定かでないが、管理職中心の対応であったためか、組合的にはそれほど大問題にならなかったように記憶している。
大晦日の晩に、Y2Kの待機組の激励と称し、職場で新年のカウントダウンをしたことは、二度とないだろう良い思い出である。
昨年あれだけ大騒ぎしたのに、と言うかむしろ今年こそが今世紀最後の年であるにも関わらず、今ひとつ盛り上がりに欠けるのは何故なんでしよう?
我々にとって大きな節目である省庁再編の年が目の前に迫ってきているのですぞ!
今年の大晦日は、運輸省最後のカウントダウンをしようではありませんか。
(結局、年末家に居たくないのか俺は?)
東北支部 岡野雅昭通信員
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今年は、二〇〇〇年間題に始まり、恐怖の大王も降ってこなかった。(ホッ!)
世紀末現象などと世の中殺伐とした出来事もありましたが、二一世紀を迎えるにあたり、無くなった(失った)ものも多くありました。
その中でも、「まんぷく食堂」が店を閉めるという出来事は、大きなことでした。戦後から秋田駅前にあって、格安料金で酒が飲めるという手軽さで、仕事帰り、また組合活動の場?としても、諸先輩方の時代からお世話になった所です。決して小綺麗とは言いがたい所でしたが、イロイロな事を言い合える場の一つでもありました。
時代の流れとは言え、無くなると聞いてとても寂しいものがありました。
わたし自身としても、秋田としても大きな出来事の一つでした。
新潟支部秋田陸運分会 山崎晋也さん
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新潟空港に赴任して、はや四度目の新年を迎えようとしています。七月にスタートした現在の執行部ですが、その中で私は教宣の担当となりました。これが私にとっては初めての執行委員としての仕事だったわけですが各種署名、アンケートの集計など考えていた以上にたくさんの仕事があり最初は大変に感じたこともありましたが、最近ではそれもようやく落ち着いて参りました。
組合としては、二年連続の賃金引き下げとなる人事院勧告、国家公務員の定員削減の問題、そして宿舎の改善、昇格・待遇改善に関する要求などについて盛んに職場集会、空港長交渉を行って参りました。
二一世紀を迎え、省庁再編をはじめ変革の時代が続きますが、こういった奮闘が何らかの形となって現れるよう、さらに来年も健康に留意してがんばっていきたいと思います。
東北航空支部 永田博章通信員
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信濃川河口の新潟西港には、日本海の荒波を防ぐための離岸提「新潟西港新々突堤」がある。ここは黒鯛の宝庫として多数のFISHERが訪れる。この日は勤務終了後、釣りバカ数人で渡船し、日本海に沈む夕日を見ながらの千夜釣行である。睡魔に襲われはじめた夜中の三時過ぎ異変が発生した。「ガタン」という音とともに竿が海に引きずり込まれる。レジャー保険の適用を受けない流失事故の一歩手前で竿を海から救う。時価数万円?の損失を未然に防ぐことができた。竿を握りしめた瞬間、強烈な引きが頭の天辺から爪先まで伝わる。白熱した格闘そして鮮やかな師匠のたも網さばきにより真鯛を釣りあげることができた。時計を見た。午前三時十分、今日は七月二十日。だから今日は海の記念日。
新潟支部新潟陸運分会 忠 好さん
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今年一年を振返って見ると、Y2K、嘉手納ラプコン返還、沖縄サミットなどがありました。その中でもラプコン返還が最も印象に残っています。それは昨年十月に嘉手納基地内で工事業者によるケーブル切断事故が起き、沖縄アプローチに使用しているレーダー施設が二日間使用できなくなり、那覇空港への離着陸便に遅延、ダイバートなどの多大な影響が出て、約三万人の乗客に影響を与えました。それを新聞マスコミが大きく報道し、県内の労働団体も急きょ県庁へラプコン返還要請の申し入れを行った結果、ようやく政府が重い腰を上げ米国側が今年三月に返還を決めました。今まで三十年近くラプコン返還の運動をやってきて、ほとんど前進がありませんでした。それが今回の事故をきっかけに返還が決まったため、ほとんどの人が信じられないという感じでした。しかし、これからの詰めが大変だと思っています。米軍は訓練を最優先に考えるため、条件面で厳しい提案を出してくることが予想されますから、それに対していかに民間機優先の条件に持っていけるかが大事になると思っています。今後とも基地返還闘争を粘り強く続けていくことによって近い将来大部分の基地が返還されると思っています。
近畿航空支部 古謝文男さん
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支部としては、機関紙コンクールでの、「みちしお」のダブル受賞が、一番うれしい出来事でした。
「ビジュアルに訴える」を基本に六人という少数の編集体制でありながら、それぞれが自分の担当をきっちりとこなし、また、組合員のみなさまにもたくさん投稿していただいたおかげで受賞できたと思っています。
六人のうち編集委員長、事務局長を支部役員ではなく組合員に担ってもらい、支部と組合員とのパイプ役的存在だったことも大きいかったと思います。事務局長として活躍した方が、今年から支部役員となり、教宣の担当として引き続き活躍されています。今後も頑張っていただきたいものです。で、その時の事務局長は誰だって? 実は私です。
神戸海運支部 熊澤哲也通信員
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二〇〇〇年を振り返ってということだが、私自身にとって一番大きな出来事はやはり「うどんの国・香川」に転勤してきたことだろうか。三十年近い人生の中で今一番うどんを食しているのではないかと思う。もともと麺類は大好きなのでよい所に転勤してきたとしみじみ思う毎日である。
今期から支部の執行委員となり、機関紙の編集をまかされている。まだ発行するのが精一杯という感じで内容を充実させるところまで手が回っていないが、咋期までこれを一人でやってこられた前任の方には本当に頭が下がる。今期は二人体制でやっているので、段々とよいものにしていけたらと思う。
十一月十四日に給与法の改悪が成立し、二年連続で私達の年収ダウンが確定してしまった。来年こそは自分達の小遣いアップのためにも、賃金改善が図られるよう皆さん頑張りましょう。
四国航空支部 渡辺憲幸通信員
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私が通信員になったのは、昨年七月です。バイク好きな私は仙台空港を職場とした、仙台空港事務所、航空保安大学校岩沼分校、仙台航空測候所のバイク乗りに声をかけ、ツーリングを企画することになり、今年は、九月と十一月の二回開催しました。来年はもう少し、メンバー、回数を増やし、ライダーを中心とした組合員の交流を図り、さらに、若い職員(ライダーは五十才過ぎても若い!)同士の他職種、関連事務所との懇親を深める一端となればと考えています。その他、米軍海兵隊の王城寺原(宮城県内)演習反対運動に参加するために仙台空港発の機動部隊として、皆で走りに行ければ面白いかな?とも思います。
ぜひ、ライダーの方で仙台にお越しの方は声をかけてください。仙台管内でのトラブルでしたらレスキューにも向かいます!
東北航空支部 深尾裕之通信員
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今年はコンピューター二〇〇〇年問題で幕があけたが、管制機器等に何ら影響はなく無事に経過し、ほっと安堵のため息をついた夜勤であった。
先期は職場委員、そしてまた今期は執行委員に出世(?)することになり、微力ながら日夜組合活動にとりくんでいる毎日なのである。
さて、航空管制支部は創立四十周年を迎え、各種記念行事を開催した。
九月九日には飯能市でのハイキングとバーベキューを行い、晴天の下、多数の組合員とその家族が参加して盛会裏に終わった。大自然の中で気分を解放して、組合員同士の親睦を深めることができた。
十月二十日の四十周年記念式典とレセプションパーティーは、多数の来賓の列席、組合員の参加により盛大に執り行われた。
本原稿を書きながら、一年を回顧する年末である。
航空管制支部 鈴木正男通信員
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今年の最大(とは少し大袈裟であるが)の出来事と言えば、関東運輸局への転勤だろう。
我々、公務員にとって、転勤は当たり前のことであり、「何を今さら」と思われるかもしれないが、昭和四八年、東京都陸運事務所(現在の東京陸運支局)に採用されて以来、約二七年間に十数回辞令をもらい、いろいろな部署を経験してきたが、運輸局勤務は初めての勤務である。
転勤当初は、運輸本省、陸運支局、更には、関係部署などとの連絡、指示、調整にまごつくことばかり。そのうえ、支部の副委員長まで、仰せつかって。
今のポジションは平均すると毎週二〜三日は出張という業務で、あまり運輸局には出勤してないが、組合活動についても、まあ、それなりにがんばっていこうと考えています。
関東支部 春原俊男通信員
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今年は、小学生になった兄に代わって、娘(美穂)の労働運動デビューの年となりました。
この写真は11・18国民大集会参加のもので、会場に着くまでは意気込んでいたものの、大勢の大人に囲まれ、話すことも歩くことも出来ず、父親にしがみついていた娘。
おかげで父親は、3kmのデモコースを11kgを抱いたまま、腰が痛いのも我慢して、歩きつづけるはめとなりました。
しかし、娘は、父と二人きりになった帰り道。大きな声で「がんばろー」と叫び「楽しかったね」と言った。
もう腰なんか痛くない。
「来年も娘と一緒にがんばるぞー」
羽田航空支部 樋口 賢通信員
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二〇〇〇年を振り返って、私にとっての出来事は、やはり「東海豪雨」であります。九月十一日午後から東海地方を襲った豪雨は年間降水量の三分の一が降るという記録的なものでした、私の自宅も決壊した新川から一キロメートルぐらいの所、町では床上浸水が約一四〇〇戸にのぼり、友人の住宅や車への浸水など多くの被害が出でました。
当日、私はその日からの本部の定期大会の真っ直中、自宅から連絡が入り、「早く帰ってこい!!」と言われても、「どうしようもない」、隣の町内に避難勧告が出ているとの事、はっきりいいまして会議は上の空、早退して大会にご迷惑をおかけしました。
何とか八時間かけて自宅にたどり着き、私の家は浸水を免れほっとしたものの、支部内の仲間では被害者が多数あり、見舞金を送ることができ、少しは役立てて頂けたと思っております。また全国の仲間からも募金を頂きありがとうございました。
中部支部 山田 勇さん
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初めて、支部の役員となり、教宣担当になったのですが、機関紙もかろうじて発行している状態です。今のところは無事発行をしていますが、自転車操業で全然ゆとりがありません。執行委員会や交渉をしていくうちに、少しずつではありますが、職場の実態や環境が分かり、様々な問題を抱えていることが分かりました。しかし、要求はなかなか通らないですが、根気よく、組合員全員が団結することによって、改善されていくということが分かってきました。執行委員をやっていてよかったと思えるのは、普段では交流のない方と知り合えることだと思います。
執行委員としてもまだまだ未熟者なのに、そのような自分が記事を書いているとは今でも想像ができないくらいです。そして、記事を書くことの難しさを身をもって実感しているところです。こういう者が機関紙を書いておりますが、分かりやすい機関紙をめざしておりますので、今後ともよろしくお願いします。
中部航空支部 山口博昭通信員
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私は、何年ぶりか、久しぶりに支部の役員に選任されました。
当支部も、海陸統一されて丸二年になりますが、庁舎が別(約二キロ)なので執行委員会等を行うとなれば、その都度行かなければならないなど、不便に感じています。
今回私は、教宣担当になった訳ですが、当然のことながら、組合の機関紙「かけはし」の発行を行わなければならず、パソコンの苦手な私としてはパソコン相手に四苦八苦している現状であります。
また、新聞のレイアウトについても、読みやすく読者を引きつけるようにと自分なりに考えがんばっているつもりですが、なかなか上手くいかない。こういうことは、その人のセンスなのかと思ったりするが、そのうち少しはましになるだろう思い、気にせずにやっていこうと思っています。
四国支部 合田一夫通信員
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年もおしせまってまいりました今日このごろ、みなさん、いかがお過ごしですか。ここ常夏の国?(自分は赴任して来るまでそう信じていました)沖縄でも、日中の暑さも多少は和らいで、なんとなく降ったり止んだりする雨を見ていると季節のうつろいを感じずにはいられません(ほんとかよ!)。
長くなってしまいましたが、とりあえず今年一年ふりかえって何か書け、というお達しが参りましたのでありがたくちょっとだけ書かせていただきます。
沖縄、という地域性、特殊性、はたまたローテーション官署ということもあり人事、昇格、さらなる待遇改善にむけて様々な問題が山積みされています。ひとつひとつ解決できるよう努力してまいりましたが、いまだ実を結ぶには至らないものもありました。来年はがんばるぞー、と軽く結んで、よいお年を!
沖縄航空支部 パブロフ吉田さん
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